日本国憲法第九条 戦争のない自由で平和な世界を目指して

憲法第九条は、自衛戦争を含めて一切の戦争を放棄している。教育・医療そして仕事を作り出すことが、結局は戦争のない世界を構築する礎になる。

「由らしむべし知らしむべからず」なんてごめんだ!放送法・電波法に基づいて電波停止・無線局の免許の取り消しは、立憲主義、憲法の表現の自由を侵害する。

目次

1 序文

2 報道番組への圧力を時間軸に沿って追ってみよう

 (1) 「JNNニュースコープ」メインキャスターの田英夫降板

 (2) 「ニュースステーション」キャスターの久米宏降板

 (3) 「ニュースウオッチ9」キャスターの大越健介降板

 (4) 2015年6月25日自民党勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」・「沖縄2紙をつぶせ」などの発言が出る

 (5) 「クローズアップ現代」キャスターの国谷裕子降板

 (6) テレビ朝日報道ステーション」キャスターの古舘伊知郎降板

 (7) TBSの「ニュース23」キャスターの岸井成格降板

 (8) 連続したキャスター降板に危機感を持った田原総一朗氏らジャーナリストが「停波」発言を改めて批判

3 衆議院予算委員会での質疑

4 考察 政治的公平性と人々の報道の自由・知る権利そして立憲主義

5 関連する憲法・法律

脚注

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1 わたしは毎晩9時から、NHK総合の「ニュースウオッチ9」をみている。最近感じるのは、集団的自衛権の問題と原発の問題が扱われなくなっているということ。NHKの会長が更迭され籾井勝人会長になり(2014年1月25日)、キャスターの大越健介が更迭(2015年3月)されてから特に感じる。

 こうした出来事を、なるべく事実を明らかにしながら、分析してみようと思う。

 

2 報道番組への圧力を時間軸に沿って追ってみよう

 (1) 古くは、1962年10月から放送を開始した「JNNニュースコープ」。メインキャスターである田英夫氏が1968年3月に降板させられた事件。

 「ベトナム戦争が激化した67年、米国が進める北爆を北ベトナム側から取材。米国が劣勢の状況を伝えた番組「ハノイ−−田英夫の証言」を放送し、米国に批判的な報道をした。

 著書「チャレンジ」(毎日新聞社、79年)などによると、その直後に故田中角栄氏ら当時の自民党郵政族議員数人がTBS社長ら幹部に接触し、故橋本登美三郎氏が「どうして田君をハノイにやったのか、あんな番組をやったら困るじゃないか」と抗議したという。幹部は突っぱねたが、その後の米原子力空母佐世保入港反対運動、成田空港反対闘争などの報道でも圧力が強まり、当時の故福田赳夫自民党幹事長は電波法の再免許申請不許可をちらつかせたという。田さんは当時の社長に「これ以上頑張るとTBSが危ない。残念だが今日で番組を降りてくれ」と告げられた。」

(2007年11月2日 毎日新聞東京本社夕刊2面)

 時間がたった現在から振り返ってみると、どっちが政治的公平性を欠いていたのか?当時世界を二分していたベトナム戦争の評価は、南ばかりではなく北側から報道することで、政治的にみて公平になる。

 

 (2)  次は「ニュースステーション」キャスターの久米宏降板 2004年3月26日

ニュースステーション」は、1985年10月7日から2004年3月26日まで、テレビ朝日系列(ANN)で生放送されていた報道番組である。

 久米が音楽番組の「ザ・ベストテン」さながらのリラックスした雰囲気で個人的意見をズバズバ言うことで従来のニュース番組とは異なっていた。久米のコメントや番組の基本姿勢は、久米宏がマスコミ人として持っている権力を嫌う姿勢と戦争反対の姿勢を強く反映したものだった。そのため広く人気を博した反面、自民党筋や保守派などから偏向しているとの根強い批判・反発もあり、番組からの降板へとつながった。

 

 (3)  「ニュースウオッチ9」キャスターの大越健介降板 2015年3月27日

 大越健介が2010年3月からキャスターに就任。ニュース内でまとめとして政治色を絡めつつ自身の意見を表明するというNHKの歴代ニュース番組としては異例のスタイルが度々話題となったが、2015年3月27日をもって番組を降板した。
「 実はこの人事、「安倍官邸の意向」によるものだったというのである。2015年3月23日発売の「週刊現代」(講談社)が〈左遷! さらば、NHK大越キャスター エースはなぜ飛ばされたのか〉というタイトルで舞台裏を詳報している。
 NHKでは毎年秋ごろ、幹部による「キャスター委員会」という会議が開かれ、各番組の次年度のキャスターを誰にするかが話し合われる。春の番組改編でキャスター交代の可能性があれば、ここでリストが挙げられ検討される。昨年(2014年)秋の委員会では『ニュースウオッチ9』のキャスター人事は俎上にすら上がっていなかった。
 それが昨年(2014年)暮れ、総選挙自民党の圧勝が決まったころから雲行きが怪しくなった。大越氏は(2014年)12月のある日突然、上層部から呼び出され、降板を言い渡された。なぜこのタイミングなのか、もう少しやらせて欲しいと食い下がったが、幹部は聞く耳を持たなかったという。
 “大越おろし”の原因はいうまでなく、ニュースの間にはさむコメントが「安倍官邸のお気に召さなかった」ということらしい。とはいえ所詮はNHKの番組である。いくら大越氏が従来のNHKの枠を越えた「モノを言う」キャスターだったとはいえ、“歯に衣着せぬ”といった物言いではなく、ごくごく当たり前の内容を穏当な言葉で話すだけだった。例えば、大越氏は事故後の福島第一原発サイトに過去6回、足を運んでリポートをするほど原発問題に関心が強かった。昨年(2014年)2月に訪れた際には、次のような言葉で締めくくった。

「(原発)再稼動の申請が相次いでいますが、自然ははるかに人間の想定を超える力を発揮しうるという教訓に立ち、慎重な上にも慎重な安全確認が行われなければならないでしょう」

 これだけだ。反原発でも何でもない。また、一部報道では大越氏がブログ原発再稼動に慎重な姿勢を見せていたことが問題視されたとの指摘があるが、実際に調べてみると、〈原発事故の教訓はどうなったのか〉〈(福島原発事故は)原子力安全神話を崩壊させ、技術への過信に大きな警鐘を鳴らした〉といった程度の記述だった。」

(以上、「テレビに関する話題……本と雑誌のニュースサイト/リテラ」より)

世界最大の原発事故を起こし、今なお廃炉の道筋すら見えてこない中で、マスコミ人としてこの問題を扱って警鐘を鳴らすことのどこが偏っているのか?私たちの国・故郷の危機である。強い関心があって当たり前だし、国民の関心・不安に答える正確な報道は少なすぎるくらいだ。

 

 (4)  2015年6月25日自民党勉強会「文化芸術懇話会」で「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」・「沖縄2紙をつぶせ」などの発言が出た。

勉強会での主な発言

大西英男衆院議員(東京16区、当選2回)

 「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。・・・不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

・長尾敬衆院議員比例近畿ブロック)が「沖縄」に話題を移す。沖縄タイムス琉球新報という二つの地元紙を名指しし「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」と主張。これに応える形で百田氏が「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん」と述べた

(以上、朝日新聞デジタル2015年06月27日 東京 朝刊 「(時時刻刻)沖縄・報道の自由、威圧 自民勉強会」)

 政権政党である自民党の勉強会でこうした意見のやり取りがあったと報道されるだけでも、マスメディアに対する十分な萎縮効果がある。単なる勉強会ではすまないのだ。

 

(5) 「クローズアップ現代」キャスターの国谷裕子降板 2016年3月17日

もう一つ忘れてはならないのが、NHKの報道番組「クローズアップ現代」のキャスターである国谷裕子の降板(2016年3月17日が最終回)である。

安倍政権との因縁は2015年7月3日の放送にさかのぼる。
「 昨年(2014年)の集団的自衛権閣議決定の直後、7月3日放送の『クロ現』に菅義偉官房長が生出演したときのこと。国谷裕子キャスターは「他国の戦争に巻き込まれるのでは」「憲法の解釈を簡単に変えていいのか」など、キャスターとして至極当然の質問をしたのだが、番組終了後に官邸は激怒「君たちは現場のコントロールもできないのか」などと恫喝し、籾井会長をはじめ上層部が“平身低頭”となって謝罪したという。」

(以上、ジャーナリズム・ジャーナリストに関する話題……本と雑誌のニュースサイト/リテラ)
 
同番組のやらせ問題では、国谷さんが(2015年)4月の放送で謝罪。その後、自民党の情報通信戦略調査会は、テレ朝の専務と同じ日にNHK副会長を事情聴取した、という経緯がある。

この番組は、その時々の社会的・経済的・政治的に重要ような出来事を正面から取り上げ、問題点・解決策などを専門家と検討し、提案するものであった。見応えのある番組で私は好きだった。現政権の意見をそのまま反映するのが政治的公平とは思わない。現代の社会情勢を監視し、問題点を複数の視点から検討することが公平といえる。

 

 (6) テレビ朝日の「報道ステーション」キャスターの古舘伊知郎降板2016年3月31日

以下、日刊現代デジタル「古舘伊知郎報ステ」降板全真相と官邸大はしゃぎの内幕」2015年12月26日

 「またひとり安倍政権に批判の論陣を張るメディア人が消えた。(2015年?月)24日、テレビ朝日の報道番組「報道ステーション」のメーンキャスター・古舘伊知郎が会見し、来年(2016年)3月いっぱいで降板することを明らかにしたのだ。官邸は“してやったり”ではないか。・・・
■政府に批判的なコメンテーター次々と“首切り”
 サバサバした表情で会見に現れた古舘は、「2年前から考えていた。急に心境が変わったことではない」と“円満降板”を強調。もっとも真相は不明で、古舘はつい最近まで、「オレ、絶対頑張るからな」と周囲に語り、“続投”に意欲を見せていたという。実際、後任について質問が飛ぶと、「ボクのようにあまり問題発言をしない人がいいんじゃないでしょうか」と自虐的に語り、「権力を監視し、警鐘を鳴らすのが報道番組。全く中立公正はあり得ないと思っている」とも語った。

「古舘さんは原発報道をめぐって『圧力がかかって番組を打ち切られても本望』と発言したり、原発再稼働に向けて突っ走る政府に批判的な姿勢を強めていた。そんな最中の突然の降板劇です。むしろ何かあったと考える方が自然でしょう」(テレビ朝日関係者)

 報ステでは今年(2015年)3月、元経産官僚の古賀茂明氏が番組内で「I am not Abe」と発言し、官邸からの“圧力”でコメンテーターを降板させられた。その古賀氏は古舘の降板をこう見ている。
「古舘さんは『しゃべるのが命』という人だから、自分から降板するなんてありえないと思います。トークライブで原発の話をしようとしたら、台本を書き換えさせられたりと、報ステの番組はおろか、番組の外でも自由にモノを言うことができなくなっていたそうです。もう疲れちゃったんでしょう。古舘さんの方から辞めると言わせるように、テレ朝側が持っていったのでしょう」」

 

2016年3月18日報道ステーションがワイマール憲法の危うさを特集

古舘伊知郎は降板にあたり最後の抵抗をした。ワイマールに1泊3日の旅をして、ワイマール憲法自民党改憲案の緊急事態条項の類似点とその危険性に警鐘を鳴らした。「ナチス・ドイツは軍事やクーデターでなくワイマール憲法の「国家緊急権」を使って、合法的に独裁を実現した。・・・ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、まあ、日本がそんなふうになるとは到底思わない。ただ、いま日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなきゃいけないポイントがあるんです」 

この古舘キャスターの番組を見て身震いする人がかなり多かったと思う。ネット上でも大変な反響を呼んでいた。この番組を巡るYouTubeの多数の投稿をみるとよく分かる。

さらに古舘は3月24日の報道ステーションの中で、田原総一朗氏らジャーナリスト5人が24日、東京都内で記者会見し、高市早苗総務相が政治的公平などを定めた放送法4条違反を理由に放送局へ停波を命じる可能性に言及したことについて問題視する意見を改めて表明したニュースに関連して以下のように発言した。

放送法4条に関しましては、倫理的な規範であると私認識しておりますし、やはり現在の政権の考え方に沿う放送をやることがイコール放送の公正かというと、私は違うと考えております。」と発言した。民主主義の基盤を支える表現の自由・国民の知る権利に関する、明確な意思表明を最後の贈る言葉にしておきたかったのだろう。

 

 (7) TBSの「ニュース23」キャスターの岸井成格降板 2016年3月

(以下、Yahoo! Japanニュース 『報道ステーション』と『NEWS23』、報道番組キャスター「同時降板」の背景は!?碓井広義  上智大学文学部新聞学科教授(メディア論) 2015年12月25日 13時6分配信)

「●異様な意見広告

11月の中旬、紙面全体を使った意見広告が読売新聞と産経新聞に掲載された。題して「私たちは、違法な報道を見逃しません」。

広告主は「放送法遵守を求める視聴者の会」という団体で、『NEWS23』のキャスター、岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員)を非難する内容だった。

今年9月、参議院で安保関連法案が可決される直前、岸井氏は番組内で「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げるべきだと私は思います」と述べた。意見広告はこの発言を、番組編集の「政治的公平性」の観点から、放送法への「重大な違反行為」に当たると断じていた。

確かに放送法第4条には「政治的に公平であること」や、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が規定されている。

しかし、それは一つの番組内における政治的公平ではなく、事業者が放送する番組全体のそれで判断されるべきものだ。その意味で、岸井発言は決して“違反行為”などではない。

2つの全国紙に、全面広告を打つ費用は決して小さくはない。個人に対する意見広告というのも異例だ。この組織にとって、是が非でも訴えたい内容だったということか。

個人に対する新聞での意見広告というのも異例だったが、それ以上にこの意見広告を目にした時の違和感は、“視聴者(市民)の意見”という形をとりながら、メディアコントロールを強める現政権の思惑や意向を見事に体現していたことだ。 」

 

朝日新聞デジタル 社説 2016年2月10日05時00分の言葉を借りよう

「「政治的公平」は、政治権力と向き合い、それとは異なる意見にも耳をすまして、視聴者に多様な見方を示すことで保たれる。報道機関である放送局が萎縮しその責任から後退したら、民主主義の土台が崩れる。」

 

 (8) こうした連続したキャスターの降板に危機感を持った田原総一朗氏らジャーナリストが「停波」発言を改めて批判した。 2016年3月25日

「 田原総一朗氏や岸井成格氏らジャーナリスト5人が24日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見し、高市早苗総務相が政治的公平などを定めた放送法4条違反を理由に放送局へ停波を命じる可能性に言及したことについて問題視する意見を改めて表明した。

 他に出席したのは、青木理大谷昭宏鳥越俊太郎の3氏。鳥越氏は「政治的なことは、できる限り公平な立場で伝えるのは当然。しかし、政府の税金の使い方に疑問がある場合に、批判的に伝えるのはメディアの当然の権利で、それを高市さんは混同している」と話した。

 会見に参加した元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏は「なぜ日本のメディアが萎縮するのか」などと質問。これに対して岸井氏は「萎縮しているとの見方があるが、どう考えるか難しい。一斉に高市発言に反発できないのは、(会社同士で)ライバル意識が強く、連携の発想がなかなか無い。これまで連携しなきゃいけない危機的状況は幸いなかったが、今連続して起き始めた。それへの対応は現在進行形です」とメディア間の連携の必要性を示唆した。(滝沢卓)」

朝日新聞デジタル2016年3月25日)

 

3 衆議院予算委員会での質疑

2016年2月8日の衆議院予算委員会において、高市早苗総務相民主党の奧野総一郎議員の質問(放送法・電波法に基づく電波の停止の可能性はあるのか?)に答えて、おおむね以下のように答えている。

放送法第四条、これは単なる倫理規定ではなく法規範性を持つものである」・・・「どんなに放送事業者が(政治的公平性に関して)極端なことをしても、仮に、それに対して改善をしていただきたいという要請、あくまでも行政指導というのは要請になりますけれども、そういったことをしたとしても全く改善されない、公共の電波を使って、全く改善されない、繰り返されるという場合に、全くそれに対して何の対応もしないということをここでお約束するわけにはまいりません。
 ほぼ、そこまで極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりませんけれども、法律というのは、やはり法秩序というものをしっかりと守る、違反した場合には罰則規定も用意されていることによって実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。」

衆議院会議録、第190回国会 予算委員会 第9号、平成二十八年二月八日)

 

 こうした国会答弁に関して、朝日新聞デジタル「(池上彰の新聞ななめ読み)高市氏の電波停止発言 権力は油断も隙もない 」 2016年2月26日は、以下のように論じている。

「 「総務省から停波命令が出ないように気をつけないとね」

 テレビの現場では、こんな自虐的な言い方をする人が出てきました。

 「なんだか上から無言のプレッシャーがかかってくるんですよね」

 こういう言い方をする放送局の人もいます。

 高市早苗総務相の発言は、見事に効力を発揮しているようです。国が放送局に電波停止を命じることができる。まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です。

 高市発言が最初に出たのは2月8日の衆議院予算委員会。これをいち早く大きく報じたのは朝日新聞でした。9日付朝刊の1面左肩に3段と、目立つ扱いです。この日の他の新聞朝刊は取り上げなかったり、それほど大きな扱いではなかったりで、朝日の好判断でしょう。この後、各紙も次第に高市発言に注目するようになります。

 朝日は1面で発言を報じた上で、4面の「焦点採録」で、具体的な答弁の内容を記載しています。読んでみましょう。

 〈政治的な問題を扱う放送番組の編集にあたっては、不偏不党の立場から特定の政治的見解に偏ることなく番組全体としてバランスのとれたものであることと解釈してきた。その適合性は、一つの番組ではなく放送事業者の番組全体をみて判断する〉

 「特定の政治的見解に偏ることなく」「バランスのとれたもの」ということを判断するのは、誰か。総務相が判断するのです。総務相は政治家ですから、特定の政治的見解や信念を持っています。その人から見て「偏っている」と判断されたものは、本当に偏ったものなのか。疑義が出ます。

 しかも、電波停止の根拠になるのは放送法第4条。ここには、放送事業者に対して、「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」など4項目を守ることを求めています。

 ところが、その直前の第3条には、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と規定されています。つまり放送法は、権力からの干渉を排し、放送局の自由な活動を保障したものであり、第4条は、その際の努力目標を示したものに過ぎないというのが学界の定説です。

 番組編集の基本方針を定めた第4条を、権力が放送局に対して命令する根拠として使う。まことに権力とは油断も隙もないものです。だからこそ、放送法が作られたのに。

・・・

 こうした事態は、放送局の監督権限を総務省が持っているから。この際、アメリカの連邦通信委員会(FCC)のような独立した委員会が、国民の代表として監督するような仕組みが必要かも知れません。」

 

4 考察 政治的公平性と人々の報道の自由・知る権利そして立憲主義

(1) 民主主義とは、人々が社会・経済・政治のありようをつぶさに知り、その知見に基づいて、何が今必要かを見極め、現在の政権が正しいことをしているか否かを判断し、人々が政権を選出する権利を持つ政治体制だ。新聞社・放送局(マスメディア)の役割は、人々の眼となって、権力を監視し、問題のある時は警鐘を鳴らすことだ。現在権力を持っている政権は,都合の悪いことを隠そうとし、人々の知る権利を奪うべく、新聞社・放送局(マスメディア)に圧力をかける。現政権は立法権も持っているから、自分に都合の良い法律を制定し、人々の目から真実を隠そうとする。だからこそ人々が持っている基本的人権を否定する事態を防ぐために、現在権力を握っている多数派の政権でも覆すことのできない憲法がある。憲法は多数派の横暴から人々の人権を守ってくれる。憲法が政治の基盤を支える。これが法の支配だ。憲法は人々の表現の自由・知る権利を、多数派が支配する政権の圧力から保護し、民主主義を維持しようとしているのだ。立憲主義である。

 民主主義は国の根幹であり、人々の表現の自由・知る権利はそれを支える基盤である。多くの人々がいる現代の国家では新聞社・放送局(マスメディア)がこの人々の表現の自由・知る権利を肩代わりしておこなっている。したがって、新聞社・放送局の表現の自由・知る権利は人々の民主主義を支える基盤となっている。

 特定の主義主張を持った多数派集団である政権が自分の都合の良いように新聞社・放送局の表現の自由・知る権利をコントロールすることは、人々が正しい判断をする機会を奪い、民主主義を否定し、ひいては立憲主義にも反することになる。

 

(2) そもそも高市早苗総務相の発言にある「どんなに放送事業者が(政治的公平性に関して)極端なことをしても、仮に、それに対して改善をしていただきたいという要請・・・をしたとしても全く改善されない、公共の電波を使って、全く改善されない、繰り返されるという場合・・・極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりませんけれども、法律というのは、やはり法秩序というものをしっかりと守る、違反した場合には罰則規定も用意されていることによって実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。」と言っているような事態が起きた時を想像して下さい。これは相当政治状況が切迫している時、つまり政治権力同士が緊迫した衝突を繰り返している時でしょう。こういうときは、まさに政治権力同士の利害が真っ二つに割れているような時なのです。集団的自衛権を認めるかとか、原発の運転を再開するか、さらには戦争を開始するかなどです。こんなときに片方の政権が、放送法違反としてもう一つの政権の主張を圧殺することは、人々のさまざまな意見を無き者とすることにほかならない。それだけの声があるということは、多数派の政権でも認めて、謙虚に対応すべき事態になっているということだ。

 

(3)  放送法は、1条で放送の自律や表現の自由の確保を原則に掲げ、3条で「何人からも干渉され、又は規律されることがない」と放送番組編集の自由を明文化している。「政治的公平」などを定めた4条は、放送事業者が自律的に番組内容の適正を確保する努力目標であり、政府の介入は認められないと考えるのが学界の定説だ。

 そもそも「特定の政治的見解に偏ることなく」「バランスのとれたもの」ということを判断するのは、誰か。総務相が判断するのだ。総務相は政治家だから、特定の政治的見解や信念を持っている。その人から見て「偏っている」と判断されたものは、本当に偏ったものなのか。大いに疑問だ。「政治的公平」は判定不能で、数値では測れない。こうしたあいまいな文言をもとに、番組内容が適切かどうかを大臣が判断することになれば、4条が番組の内容への規制となり、表現の自由を定めた憲法21条に違反する疑いが濃くなり、少数派の人権を保障する立憲主義に反することになる。

 

(4)  2014年から2016年にかけてニュース番組のキャスターが次々と降板させられなどている現実は、極めて異例で、危険な状況だ。第二次世界大戦の時の翼賛新聞を思い出してほしい。新聞社・放送局(マスメディア)への圧力を強め、特定秘密保護法で重要な軍事機密を隠す。人々の判断基盤を崩した後には何が来るのか? 折しも自民党改憲をもくろんでいる。緊急事態条項を新設しようとしている。人々の主権者としての権利を奪うこうした政治行動は、民主主義の基盤を崩し、憲法が保障する少数者の人権を奪っている。「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的である。」(ヘーゲルの言葉)少数者の人権を保障することによって豊かな政治循環が起こるのである。正義は常に多数者の下にあるのではないからだ。

 

 結局、放送法・電波法に基づいて、電波を停止したり、無線局の免許を取り消すことは、立憲主義憲法表現の自由・知る権利を侵害する。
「由らしむべし知らしむべからず」なんてごめんだ!

 

5 関連する憲法・法律

(1) 憲法

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

(2) 放送法

(昭和二十五年五月二日法律第百三十二号)

最終改正:平成二七年五月二二日法律第二六号

第一章 総則

(目的)

第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

 

第二章 放送番組の編集等に関する通則

 

(放送番組編集の自由)

第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

(国内放送等の放送番組の編集等)

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

(3) 電波法76条

第七十六条  総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法 若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。

2  総務大臣は、包括免許人又は包括登録人がこの法律、放送法 若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、包括免許又は第二十七条の二十九第一項の規定による登録に係る無線局の新たな開設を禁止することができる。

3  総務大臣は、前二項の規定によるほか、登録人が第三章に定める技術基準に適合しない無線設備を使用することにより他の登録局の運用に悪影響を及ぼすおそれがあるときその他登録局の運用が適正を欠くため電波の能率的な利用を阻害するおそれが著しいときは、三箇月以内の期間を定めて、その登録に係る無線局の運用の停止を命じ、運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限し、又は新たな開設を禁止することができる。

4  総務大臣は、免許人(包括免許人を除く。)が次の各号のいずれかに該当するときは、その免許を取り消すことができる。

一  正当な理由がないのに、無線局の運用を引き続き六箇月以上休止したとき。

二  不正な手段により無線局の免許若しくは第十七条の許可を受け、又は第十九条の規定による指定の変更を行わせたとき。

三  第一項の規定による命令又は制限に従わないとき。

四  免許人が第五条第三項第一号に該当するに至つたとき。

五  特定地上基幹放送局の免許人が第七条第二項第四号ロに適合しなくなつたとき。

5  総務大臣は、包括免許人が次の各号のいずれかに該当するときは、その包括免許を取り消すことができる。

一  第二十七条の五第一項第四号の期限(第二十七条の六第一項の規定による期限の延長があつたときは、その期限)までに特定無線局の運用を全く開始しないとき。

二  正当な理由がないのに、その包括免許に係るすべての特定無線局の運用を引き続き六箇月以上休止したとき。

三  不正な手段により包括免許若しくは第二十七条の八第一項の許可を受け、又は第二十七条の九の規定による指定の変更を行わせたとき。

四  第一項の規定による命令若しくは制限又は第二項の規定による禁止に従わないとき。

五  包括免許人が第五条第三項第一号に該当するに至つたとき。

6  総務大臣は、登録人が次の各号のいずれかに該当するときは、その登録を取り消すことができる。

一  不正な手段により第二十七条の十八第一項の登録又は第二十七条の二十三第一項若しくは第二十七条の三十第一項の変更登録を受けたとき。

二  第一項の規定による命令若しくは制限、第二項の規定による禁止又は第三項の規定による命令、制限若しくは禁止に従わないとき。

三  登録人が第五条第三項第一号に該当するに至つたとき。

7  総務大臣は、第四項(第四号を除く。)及び第五項(第五号を除く。)の規定により免許の取消しをしたとき並びに前項(第三号を除く。)の規定により登録の取消しをしたときは、当該免許人等であつた者が受けている他の無線局の免許等又は第二十七条の十三第一項の開設計画の認定を取り消すことができる。

 

脚注

※1 由(よ)らしむべし知(し)らしむべからず・・・

《「論語」泰伯から、孔子の言葉》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。(デジタル大辞泉の解説)

2 引用文中の(○○○○年)などの文字は筆者が挿入。

3  F・ヘーゲル(1770-1831)の有名な命題で「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的である。」という言葉が『法哲学』の序論に叙述されている。

ヘーゲル著、藤野、赤沢訳『法の哲学』中央公論新社、2001年p.4